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こうのすで、あんなこと!こんな人! -鴻巣活躍人物伝-

おやじバンドコンサート 第1回実行委員長 久保田英治さん

おやじバンドコンサート誕生秘話 地元愛と音楽愛が融合した鴻巣独自の音楽イベント

(写真左から)お話を伺った久保田さん、取材協力いただいた成澤さんと伊藤さん

毎年夏にクレアこうのす大ホールで行われる人気イベント『おやじバンドコンサート in 鴻巣』。過去25回もの開催を重ね、アマチュアバンドのフリーライブとしては異例の人気を誇るこのイベントは、どのような想いやきっかけで誕生したのでしょうか?

 

今回は、第1回実行委員長の株式会社クボタホームクリニック代表取締役・久保田英治さんと、イベントの変遷を良く知るお2人、成澤隆さん(第2回~第22回実行委員長)と伊藤畳店代表・伊藤篤史さん(第1回から出演するバンド「B6」リーダー)にもご協力いただき、貴重な資料とともに歴史ある鴻巣のおやじバンドをフカボリします!

きっかけは中山道の地域活性

原点は『こうのすパーキングバザール』のステージトラック

ーー鴻巣で『おやじバンドコンサート』が始まったきっかけを教えてください。

 

久保田さん「おやじバンドのルーツは『こうのすパーキングバザール』です。今でいうマルシェイベントのようなもので、中山道のパーキングこうのす市営駐車場(現在は閉業)で月1回開催していました。

当時(1990年代後半)鴻巣駅東口のランドマークだったキンカ堂が閉店して、中山道への人の流れがなくなり商店街が衰退してしまったんです。そこで、お祭りみたいなもので盛り上げられないか、と地元有志(こうのす若手商業者同好会)で企画したのが始まりです」

経費削減のためにバンドを結成!?

 

久保田さん「お祭りには何か音楽があったほうがいいだろうってことで、初めはプロのバンドを呼んでいたんですが、自分たちで演(や)ったら安上がりじゃないかって話になって(笑)。楽器や歌ができる連中が集まって、イベント会社に頼んだステージトラックで演奏したのが始まりです」

ーー初めは『おやじバンド』という名前ではなかったのですね! 現在のような独立した音楽イベントになったのはいつ頃でしょうか?

 

久保田さん「1999年に、当時の鴻巣市民会館で『鴻巣アマチュアコンサート』を開催したのが最初です。翌年の2000年9月に、クレア(鴻巣市文化センター クレアこうのす)ができて、2001年4月に小ホールで『第1回鴻巣ロックフェスティバル』を開催しました」

 

成澤さん「この『第1回鴻巣ロックフェスティバル』を、おやじバンドの第1回としています」

 

ーーここからおやじバンドコンサートの歴史がスタートしたのですね!

小ホール開催の様子。観客は家族や知り合いなどが多かった

25回開催≠25周年ではないワケ

 

久保田さん「この頃は、クレアもすぐ(ホールの予約が)取れたんだよね(笑)」

伊藤さん「夏と冬、年に2回やってましたしね」

 

ーーなるほど! 25回=25年ではない、のはそういう事情なのですね。最初は小ホール開催だったというのも驚きです。

 

久保田さん「そういえばあの頃、1回だけ大ホールでやったことがあったよね」

伊藤さん第1回こうのす花火大会の翌日ですね」

久保田さん「(主催者である鴻巣市商工会青年部のメンバーだったため)花火大会の撤収作業やって、それからクレアに出たんだよね。あの頃は若かったなあ(笑)」

伝説の!?単発での大ホール開催

前出の写真と比べ奥行きや照明などスケールの違いがわかる

おやじバンド“ブーム”を追い風に

歴代のプログラムやチラシ

第20回記念のプログラム(1番手前)は豪華冊子タイプ

ーー当初お客さんは、家族や友人など出演者の知り合いが多かったそうですが、「お客さんが増えたな」「客層が変わってきたな」など変化を感じるようになったのはいつ頃でしょうか?

 

成澤さん「変わったのは、イベント名に『おやじバンド』を付けた頃からですかね。NHKの影響*1)で『おやじバンド』という言葉が流行語になって、イベントの存在が一気に広まった印象です。

イベント周知に関しては、新聞の無料広告欄に告知を打つなど、経費をかけずできる限りの宣伝活動も行っていましたが、ブームをきっかけに問合せもすごく増えて。そのうち(収容人数約300席の)小ホールで立ち見が出るようになり、大ホール開催を望む声をいただくようになりました」

 *1)NHKの影響

おやじバンド…中高年メンバーによるアマチュアバンドのこと。1997年、NHKがスタートさせた毎年恒例の視聴者参加番組「熱血オヤジバトル」をきっかけに、この世代のバンドを対象にしたコンテストが多数開催されるようになりシーンが活性化した。近年は90年前後のいわゆるバンドブーム世代も流入。収入も安定している世代だけに、かつて夢見た高額な楽器を満を持して購入する者も多く、楽器販売市場の活性化にも一役買っている。各音楽学校も高齢者向けの楽器講座などを続々と開講している。

(出典:イミダス「おやじバンド」

取材時にお借りした貴重な記録映像や印刷物の数々

小ホールから大ホール開催へ イベント継続への道のり

大ホール開催に正式に切り替わった2012年(第16回)のポスター

3.11震災後で「がんばろう日本」のメッセージも

ーーいよいよ、2012(H24)年に、大ホール開催に切り替わるわけですね。

 

成澤さん「本来は、前年の2011年に初の大ホール開催を予定していたんです。3月11日に東日本大震災が起きて、(太平洋側の発電所が被害を受けた影響から)鴻巣市内でも計画停電などがありましたので、この年は結局、夏開催を延期して冬に小ホールで開催しました」

震災を乗り越えて。大ホールになって変わったこと

 

ーーおやじバンドは震災も乗り越えて継続されたのですね。大ホール開催になったことで何か影響はありましたか?

 

成澤さん「やはり一番は費用ですね。会場が大きくなるので、ホールの利用料など諸経費が約4倍になりました。おやじバンドは主催もスタッフも出演者が行う無料イベントですから、必然的に出演者の持ち出し(自己負担)も増えます。そのため、出演バンドを増やしたり、この年から協賛を始めたりもしました。あとは、当日会場で募った募金がすごく助けになりましたね。

 

大ホール開催になって初めて有料広告も打ちました。地元の埼玉新聞に取り上げていただいたのも良い思い出です」

第25回開催(2024年)の様子

コロナ禍で3年の延期期間を経てなお毎回満席の盛況ぶり

街の外で知る鴻巣のすごさ

 

ーーイベントに長く関わる皆さんですが、印象に残っている出来事はありますか?


成澤さん「バンド活動で他地域のイベントに出ると、鴻巣の知名度に驚くことがあります。他のバンドの人たちに『あの鴻巣のイベントに出ているの?』『あのおやじバンドのある鴻巣から来ているの?すごい』と言われたりします(笑)。

あとは、やっぱり、お客さんの入りですかね。普通はアマチュアバンドのライブって、家族や友人が観に来る程度で、知り合いの出番が終わったらみんな帰ってしまうんですよ。出番が最後だったりすると、客席にはその日の出演者とスタッフしかいなかったりして(笑)。鴻巣のお客さんたちは、コンサート自体を観に来てくださっているんだな、とイベントの力を実感しますね」

大ホール開催になると開場前の行列が課題に

対策として整理券が配布されるように

 

音楽と鴻巣のこれから 街と日常に音楽を

成澤さんが所属するフォークフルセダーズ

市内外で精力的にライブ活動を行う

“in 鴻巣” に込めた想い

 

ーー鴻巣と音楽との関わりについて、今後の想いを聞かせてください。

 

成澤さん「イベント名に『in 鴻巣』を付けたのは、『in 行田』『in 羽生』『in 東松山』…のように、音楽の文化を市外にも広めたかったからなんです。各地でイベントは行われていますが、鴻巣と同規模の音楽イベントはなかなか実現していないんですけどね。バンド活動をしながら想いは持ち続けています。

鴻巣のイベントに足を運んでくださる皆さんにはこれからも、プロさながらの照明や音響で非日常感を楽しんでいただけた嬉しいですね」

地元の若者たちに音楽の楽しさを

 

久保田さん「地元の高校の軽音楽部に声をかけ、主催イベントに出演してもらうなど、若者が音楽を披露する場所づくりや、音楽を楽しむきっかけづくりをしています。自分たちが音楽を楽しんできたように、今の若い人たちにも音楽の楽しさを知ってもらえたらなと。

イベントやライブは観光インバウンドにもつながるので、地元で商売を営む1人として、微力ながら地域貢献もできたらいいなと考えています」

久保田さん主催のライブイベントに鴻巣高校軽音楽部が出演

学生がステージに立つ機会を大人たちが積極的に後押し

音楽でつながる、音楽があふれる街に

 

伊藤さん「地元で仕事を始めたばかりの頃、好きな音楽きっかけに、商工会青年部の方たちや地域の事業者さんと繋がりを深めることができたという経験があります。

鴻巣が音楽のあふれる街になっていったらいいですね。おやじバンドのある街として、ストリートライブやストリートピアノ、オープンマイクなど、気軽に音楽に触れられる文化が育つといいなと」

鴻巣のマルシェイベント「のすぱ」のピクニックコンサート

休日の公園に心地よい音楽が響く

ーー鴻巣が、音楽のあふれる街になったらと思うとわくわくしますね。お話を聞かせていただきありがとうございました!

お話を伺ったみなさん

久保田英治さん

鴻巣を中心に活動するアマチュアバンド「Sirius(シリウス)」リーダー。G.担当。

成澤隆さん

鴻巣を中心に活動するアマチュアバンド「フォークフルセダーズ」リーダー。Vo.&G.をマルチに担当。

伊藤篤史さん

第1回からフル出場するアマチュアバンド「B6(ビーシックス)」リーダー。G.担当。

【年表】おやじバンド in 鴻巣 ヒストリー

永久保存版!? 「おやじバンド年表」作りました!

西暦和暦ライブ名

エピソード

1990年代後半 パーキング・バザール地元を盛り上げるため中山道沿いの市営駐車場(当時)でイベントを定期開催。催しのなかではじめはプロのバンドを呼んでいたが「より経費を安くあげるため」自分たちで演奏することを思い立つ。
1999H11

鴻巣アマチュアコンサート

鴻巣市民会館(クレアの前身)で開催。 翌2000(H12)年9月に、おやじバンドの聖地とも言うべき鴻巣市文化センター「クレアこうのす」が完成。

2001.4

2001.9

H13

第1回鴻巣ロックフェスティバル

・第2回鴻巣ロックフェスティバル

「おやじバンドコンサート」としての記念すべきイベント第1回目。クレア小ホールでのスタート。久保田さんが実行委員長を務める。第2回から委員長は成澤さん。
2002.7~H14

第3回~第9回

2002年7月、伝説の!?単発大ホール開催。第1回こうのす花火大会の翌日で、青年部メンバーは花火会場撤収後にステージに立った。この年もを含めしばらく夏・冬の年2回開催が続く。2005(H17)年第8回のチケットにはサブタイトルに「ーおやじバンド大会ー」の文字が付く。

2007.6H19第10回おやじバンドコンサートin鴻巣

イベント名が初めて現在の形となる。90年代後半からのおやじバンド流行の追い風もあり「おやじバンド」と銘打ったことで、イベントの認知度が徐々に広がっていく。収容人数約300人の小ホールで立ち見が出るようになり、大ホール開催を望む声があがるように。

2008H20第11回おやじバンドコンサートin鴻巣 
2009.6H21第12回おやじバンドコンサートin鴻巣 
2010.7H22第14回おやじバンドコンサートin鴻巣※第13回は鴻巣市外で開催。
2011.12H23第15回おやじバンドコンサートin鴻巣

イベント名が「おやじバンドコンサート」となってから初の大ホール開催を予定していたが、3.11の影響による計画停電などで、夏開催を延期。冬に小ホールで開催。

2012.6H24第16回おやじバンドコンサートin鴻巣

念願の大ホール開催。地元新聞社にも取り上げられた。

2013.8H25第17回おやじバンドコンサートin鴻巣 
2014.8H26第18回おやじバンドコンサートin鴻巣 
2015.7H27第19回おやじバンドコンサートin鴻巣 
2016.7H28第20回おやじバンドコンサートin鴻巣20周年記念でプログラムも豪華冊子に。
2017.6H29第21回おやじバンドコンサートin鴻巣 
2018.7

H30

第22回おやじバンドコンサートin鴻巣成澤さんがこの年をもって委員長を勇退。
2019.7

H31

R1

第23回おやじバンドコンサートin鴻巣

委員長ふたたび久保田さんに。

2020~2022R2-4 

コロナ禍で3年間延期に。

2022(R4)年6/7月には感染予防対策のため全席指定(無料)で「NOSUフェス2022」を開催。

2023.7R5第24回おやじバンドコンサートin鴻巣

委員長に市川清さんが就任。

2024.7R6第25回おやじバンドコンサートin鴻巣

節目の25回目。

 

  

第26回へ…

 

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。